大統領直属のスポーツ、栄養に関する諮問委員会の副委員長に任命されたElena Delle Donne(エレナ・デレダン)選手。
その難しそうな名前の役職については簡単に以下にまとめています。
今回はこのデレダン選手の波瀾万丈なバスケ人生について、その1です。
ご自身のバスケ人生、バスケをやめた過去、その背景、その後の活躍などをまとめていきます。
身長に対するコンプレックス
198cmの父親、188cmの母親の遺伝子を受け継いで小さい頃から背が高かったデレダン選手。
中学生ですでに183cmあったそうです。(現在196cm)
ご本人はその身長がコンプレックスだったようで、なかなか受け入れられなかったのですが、デレダン選手の姉であるLizzieさんが全盲、聾、自閉症、脳性麻痺をかかえていること、そして母親からこう言われたことで受け入れることができたと2016年ESPNのインタビューで語っています。
いつかあなたの身長がどれだけ尊いものか気づく時がくる。なぜ他の人と同じになろうとするの?唯一無二の自分自身になりなさい。
デレダン選手の母の言葉
素晴らしい言葉ですね。「身長」だけではなくて、コンプレックスを持つ人全ての人に聞いてほしい言葉です。
高校、そして大学へ
高身長でアスリートだった両親からは小さい頃から体の使い方を教えてもらっていたそう。
地元デラウェアの高校に行き、全米にその名を知られる存在となったデレダン選手。
3年連続デラウェア州チャンピオンとなり、その年代で最高の高校選手、スカウト選手として注目を集め、WBCA(コーチ協会)のオールアメリカンも受賞。WBCAが開催するオールアメリカンを集めた試合でもMVPを受賞する活躍をみせます。
バスケだけではなくバレーボール部にも所属。3年生の時にこちらでもデラウェア州チャンピオンになっています。
アスリートっぷりがすごい!!!
そんな全米が注目する選手ですから、あらゆる名門大学にスカウトされました。(最初に大学のリクルートをされたのはなんと中学1年生の時だったそう。しかも名門ノースカロライナ大学から。青田刈りってやつですね。)
超強豪、超名門UConn(ユーコン)大学こと、コネチカット大学にもバスケの奨学金選手としてリクルートされました。
どれだけUConnが名門かというと、女子バスケ選手であれば誰もが憧れるような大学。日本で言えば桜花学園の大学バージョンとも言えるでしょうか。
とにかくスター選手が集まる、誰もが目指す大学で、ほぼ毎年優勝候補として名前があがるだけではなく、それが当然のような風潮がある、ブランド校です。
コービー・ブライアント氏の次女ジアナ・ブライアントさんも将来そこに行くことを目指していた学校です。
デレダン選手は自然の流れで実際にUConnを選び、それまで暮らしていた地元デラウェアを離れることになります。
2日後の夜中に姿を消す。一体なぜ?
しかし・・・
寮生活と共に始まった夏学期のたった2日後、デレダン選手はUConnから姿を消します。
ご本人の過去のインタビューによると、チームメイトであるルームメイトが寝静まった頃に寮から逃げ出したとのこと。(ご自身で逃げたという言葉を使っています。)
UConnコーチのGeno Auriemma(ジノ・オーリヤマ)コーチはそれをテキストメッセージの連絡で知ったとのこと。
コーチとしても、あのUConnでこれから共に大学チャンピオンを目指す、という誰もが羨むことを投げ出し、一体何なんだ、という気持ちになったそうです。
なんでそんな羨ましい所からいなくなっちゃったの?
時がたちデレダン選手もプロになり、数々のインタビューでそれについて答えています。
一言でいうと「ホームシック」+「燃え尽き症候群」です。
一緒に暮らしていた障がいを持つ姉と触れ合うことから離れ、家族とも離れて暮らすことに「何かが違う」と感じていながらもそのままUConnへ行き「一体自分は何をやっているんだ」と感じたと言っています。
また、それまで暮らしていたデラウェア。そして州チャンピオンなどの達成。ホームタウンのヒロインですから、地元の方からの応援など、暖かいサポートがあったであろうと思われます。
そこから一転。負けることが許されないようなプレッシャーのあるUConnへ。
そういった環境の変化が耐えられなかったのでしょう。
「あんなに好きだったバスケが楽しくなく、好きではなくなっていた」と語っています。
ちなみにもし、デレダン選手がUConnに行っていれば、この中に入っていることになります。2009年にNCAAで優勝しホワイトハウス訪問をしているUConnバスケ部です。現役、引退選手を含めてWNBA選手がちらほらいます。
デラウェア大学へ
バスケから離れた生活
夏にバスケへの情熱を失いUConnから去った後、地元のデラウェア大学へ通い始めます。
その秋に高校時代にやっていたバレーボール部に入部。バスケットボールには長い間触ることすらなく、バスケも見ないようにしていたそう。
ようやくバスケへの気持ちが再度復活し始めたのは、冬〜春のファイナル4というNCAAトーナメントの準決勝、決勝の時でした。
その数週間後、デラウェア大学のコーチのもとに行き、チームに入ってもいいかと申し出たそうです。
別の記事では、1月ごろから、夜の体育館で誰もが見ていないところでシューティングなどのワークアウトをしていたことが語られています。誰にも知られないようライトをあまり付けないでやっていた、ということも言っています。期待やプレッシャーなどの人の目が嫌だったことが分かりますね。その中でバスケを楽しむという気持ちが芽生えたのでしょう。
さらに入部の際には、戻ってきたことをあまり騒がないでほしい、とコーチ、チームに伝えていた様です。
弱小のデラウェア大学を強豪校へ
NCAAトーナメントというのは全ての大学が出られるわけではなく、シーズン中の勝敗をもとに組まれる地域(カンファレンス)のトーナメントを勝ち上がる必要があります。(だいぶ端折った説明です)
なのでNCAAトーナメントに出場するだけでもすごいことではあります。
デラウェア大学はバスケでは弱小で、NCAAトーナメント出場なんて夢のまた夢、のような学校でした。
しかしデレダン選手がそれを変えたのです。インタビューでは、チーム全員が勝利のために、強くなるために一緒に取り組み始めたとも言っています。
チームとしてはデレダン選手が3年生、そして4年生の時にNCAAトーナメントへ。3年時には初の1回戦突破。4年生の時は2回戦で名門のノースカロライナ大学を破る大金星。その後3回戦で敗退して大学のキャリアを終えています。
個人の成績としてはルーキーシーズンの新人賞に始まり、1試合52得点のその年の最高得点の記録、3年時には平均得点で全米トップ、3度のオールアメリカンなどの活躍。デラウェア大学のほぼ全ての記録を彼女が今でも持っていると言われています。
ちなみに、UCONN大学のオーリヤマコーチとはその後、選手の間でも過去最強だったと言われているアメリカ代表のメンバーで2016年リオオリンピックにて共に金メダルを獲得しています。
その際オーリヤマコーチは、「18歳だった彼女がそういった判断をしたことで、もう彼女は18歳ではない。他の選手と同じようなコーチと選手との関係を持たなければいけない」というコメントをしています。
デレダン選手は「コーチは一生自分を許してくれない」と思っていたそう。ですが、関係を修復し、代表の活動の時には「やっとデレダン選手のことをコーチできるよ」「やっとオーリヤマコーチの元でプレーできるよ」と言ったようなジョークを言えるまでになっているようです。
WNBAへ
そして、2013年にシカゴ・スカイに全体2位でドラフトされ、入団しています。
実はその際に、シカゴのコーチ陣からUConnの時と同じように燃え尽き症候群になり、逃げ出したりしないかと聞かれた様です。それにはデレダン選手は自信を持って「100%コミットしている。絶対に起こらないと約束できる」と答えたそう。
同年にWNBAの新人賞、オールWNBAセカンドチーム、オールスター受賞などを成し遂げ、2015年にはリーグMVP、得点王なども受賞しています。
順風満帆、それ以上に見えるWNBAでの活躍。
しかし2017年に現在所属するワシントン・ミスティクスに移籍することになります。
続く
またしても長くなってきたので一度ここで切らせていただきます。
次回こそデレダン選手ストーリーの最後になると思います。
この移籍の背景をはじめ、ご病気について。実は彼女は1日に64錠もの薬を飲む生活をしています。その理由、どんな苦しみがあるのか次回書いていきます。
コメント